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日々

まいにち。いや、ときどき。

村上さんのはなし。

村上春樹さんは私にもっとも影響を与えた人だと言えると思う。

中学か高校ぐらいで読み始めて、あっという間に読みつくしてしまった。それから何度も読み直した。思春期って確かに、「君はひとりじゃないよ」的なメッセージの音楽とかに救われたりした。それに私は音楽をやっていたから、いろんなミュージシャンからもっと影響を受けてもいいはずだった。けど、自分に深い共感、共感する喜び、安心安全な気持ち。直接的なメッセージではないのに、何よりもダイレクトに「ひとりじゃない」を与えてくれたのは小説家の村上さんだったし、今もそうあり続けている。

 

村上春樹はむずかしい、とか言う人がいる。けど私はそう感じたことは一度もない。なんかこんな風に言うとおこがましいけど、書きたいことがすごくよくわかる、から。

村上さんに共感する一番の理由は、村上さんが描き出そうとしている核のようなもの、無数にある事象の中でその題材を選ぼうと思ったこと、その選択にこそ、その作り手のしたいこと、志向が現れると思うんだけど、私はその選択にすごく共感する。この領域について描かなければ、っていう使命感、危機感のようなものがそこにはあるはずで、私も同じ領域についてとても危機を感じるから。

 

例え話でいうと、世界に無数の塵みたいなものがあるとする。その塵は空気中に分散して、目には見えなくて、常に動いている。風とか海とか雲とかによって。あるいは、ありんこが歩いて空気を切り裂くことによって。花びらが開く瞬間の空気の震えによって。

例えば地球のどこかの誰かの叫び声でその人の周りの塵が動いたとして、その動きが派生して、伝わって伝わって、全然関係ない国のどこかの誰かがそれを吸い込み、突然、死についての考えにとらわれて抜け出せなくなったとしても、それは全然不思議なことではない、と私は思う。そんな風にして世界は呼応しあっているし、それは不幸が不幸を呼ぶとかそういう話じゃなくて、因果関係のよくわからないことが突然持ち上がってきても、それはあり得ることなんだ、というか。

だからこそこの世界は危険で、ある場所の怒りや憎しみが、少し弱い存在を人知れず殺してしまうようなことがある。そんな風に思う。そしてそれは、私の呼吸による空気の震えでも起こりうるかもしれない、と。

 

でも、誰かにこんな話をしても、ふーん?って感じにたぶんなると思うからしない。そして、村上さんの物語の中にはこういう描写がたくさんある。登場人物の夢の中で行われた暴力が、現実の世界で現実の血として流される。そんな描写が。そして、闇の中のなにか間違った存在が、現実の世界の誰かに取り憑いて、その人を損なわせてしまう。そんな描写がたくさんある。そこにすごく共感する。

 

この間新しい作品が発売されて、それを今読んでいる途中なのだけど、読んでいるうちに「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」とのゆるいつながりが気になった。もちろん全く違う話だし、どちらも読まないと理解ができない、というようなことは絶対ないんだけど、気になってきて。結局新作を一回休ませて「多崎つくる」を読んだ。この作品から始まった、色、に対する観念のようなものを取り戻したくて読んだ。

この作品は他の長編と比べると分量も少ないし、派手なエピソードがあるわけでもなくて、前回読んだ時も、そんなに重要な作品だという印象がなかったのだけれど、

今回読み直してみたら、とても素晴らしかった。派手さはない分、静かな凄みというか、深みや厚みがあって、登場人物それぞれの苦しみが伝わってきて。

そして、夢や闇という村上さんの作品に共通する概念みたいなのがシンプルに描かれているから、村上さんの作品を初めて読む人にもいいのかなと、思った。

 

 なんか長く書いてしまった。

出会ってから何年も経って、たくさんの素晴らしい小説家や映画監督を知ったけれど、はじまりはここから。この出会いがあったからこそ文学や芸術にのめり込んだし、自分が今よく読む海外文学とかの嗜好もこの流れがあったからこそだと思う。

今でも村上さんの本を読むと、時間を忘れて、冴え冴えとした頭で文字を追う自分がいて、それがなんかうれしい。だから村上さんには長生きして、たくさんの作品を残して欲しいと本当に思う。

 

最後に「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」から引用。 

 

『 悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。』